父が旅立ちました。私はその時、
「お父さんが死んだらお父さんの電動自転車、ちょうだいね」と話しかけていました。
モニターを見ると突然、心拍数が「0」になりました。
「お父さん、死んじゃったの?お疲れ様でした」と胸を叩くと「フッ」と1つ呼吸をしました。
「まだ死んでなかったね、ゴメンゴメン!」と胸を叩き続けましたがもう呼吸はしませんでした。
その時、「『死』とは単に呼吸が止まるだけのことなんだなぁ・・・」と思いました。
呼吸してるか、していないかだけの問題で父の存在感は何らかわらない。
末期の白血病と判明して7ヶ月。父に病名も明かさず、過ごしてきました。
最後の一週間は意識不明で代謝も悪くなって手がブヨブヨになり、
私はずっと手を握ったり、つねったりしていたので父の手は真っ赤。
病院が遠くて大変だったけど、毎日、本当に楽しかった。
明日から何をして暮らしていけばいいのかな?途端に暇人になっちゃった。
旅にでも出ようかしら・・・なんて。


「出れば?」
「私達のご飯は忘れないでね」
みなさま、ありがとうございました。私は意外なほど元気です。
「お父さんが死んだらお父さんの電動自転車、ちょうだいね」と話しかけていました。
モニターを見ると突然、心拍数が「0」になりました。
「お父さん、死んじゃったの?お疲れ様でした」と胸を叩くと「フッ」と1つ呼吸をしました。
「まだ死んでなかったね、ゴメンゴメン!」と胸を叩き続けましたがもう呼吸はしませんでした。
その時、「『死』とは単に呼吸が止まるだけのことなんだなぁ・・・」と思いました。
呼吸してるか、していないかだけの問題で父の存在感は何らかわらない。
末期の白血病と判明して7ヶ月。父に病名も明かさず、過ごしてきました。
最後の一週間は意識不明で代謝も悪くなって手がブヨブヨになり、
私はずっと手を握ったり、つねったりしていたので父の手は真っ赤。
病院が遠くて大変だったけど、毎日、本当に楽しかった。
明日から何をして暮らしていけばいいのかな?途端に暇人になっちゃった。
旅にでも出ようかしら・・・なんて。


「出れば?」
「私達のご飯は忘れないでね」
みなさま、ありがとうございました。私は意外なほど元気です。
父はこの一週間で急に悪くなり、延命措置をするか否かの確認、会わせたい人との連絡を済ませました。
土曜日に病院から待機するように言われ、私はたった一人で看取る覚悟を決めていました。
しばらくすると私の同級生(30年ぶりに再会のメンバー)が全員来てくれて父の枕元で
「お父さん、頑張って~!良くなっておうちに帰ろう!」と代わる代わる声をかけてくれました。
父は「あれ?こんなにたくさん娘がいたっけ?どこでこさえた娘だろう・・・?」と思ったのか
息を引き取るのを忘れてしまいました。
このときほど、友達のありがたみを感じたことはありませんでした。
私は父の臨終の予行練習を図らずも2度やってしまったので、もう怖くありません。
父も私も今、たくさんの愛に包まれています。ありがとう。

「じぃちゃん、モテモテだなぁ
」
土曜日に病院から待機するように言われ、私はたった一人で看取る覚悟を決めていました。
しばらくすると私の同級生(30年ぶりに再会のメンバー)が全員来てくれて父の枕元で
「お父さん、頑張って~!良くなっておうちに帰ろう!」と代わる代わる声をかけてくれました。
父は「あれ?こんなにたくさん娘がいたっけ?どこでこさえた娘だろう・・・?」と思ったのか
息を引き取るのを忘れてしまいました。
このときほど、友達のありがたみを感じたことはありませんでした。
私は父の臨終の予行練習を図らずも2度やってしまったので、もう怖くありません。
父も私も今、たくさんの愛に包まれています。ありがとう。

「じぃちゃん、モテモテだなぁ

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